幕末の人物
桂小五郎
・明治に木戸孝允と改名
・生家は和田家
・明治の桂太郎とは直接的な関係はない。
・戦国の桂元澄の家計はニコポンである
長州のお兄さん。
逃げている姿か、胃を痛めている姿か、渋顔の姿か、しか想像できないのはなぜだろう・・・?
血の気の多い長州の抑制役でありつつ、危険極まりない京都で命がけの潜伏をするなど、人並みならぬ胆力もみえる。またそのとき彼をかくまった幾松(後の松子婦人)とのエピソードはよく聞くころだろう。
明治になり木戸は幕末を邂逅することが増えたという。
長州の兄貴分である彼が、なお兄貴として接した高杉晋作や京都の緊張をともに味わった久坂を懐かしんだそうだ。
今回は幕末に限定しているので、明治のアレソレは割愛しょよう。
桂は非常に剣がうまく、江戸三代道場の一翼といってもよかっただろう。
反面剣客に襲われたときに「逃げるしかない」と言い放ち、実際、抗うよりも逃げて逃げて丹波にも逃げた。
それゆえに血気にはやって傷を負うことも、命を落とすこともなく明治を迎える。
彼は直接松陰に師事したわけではなく、松陰が蟄居される前の付き合いだという。
実際二人の年齢差は2歳。と当時ならば学友で通じる年齢である。
また理想家の松陰は政治気質の桂とあまり相性がよくなかった、とも言われている。
反面、大人な桂を松陰は頼りにしていた。
長州の政治気質は若者に大変適合したともいわれ、桂の場合その若者、ではなくフォローする側に所属していた。
2008年10月 2日|
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